着物を装うことは、決して難しくありません!
日本の民族衣装である着物でおしゃれを気軽に楽しみ、日本人としての誇りと文化を大切に出来る自分に出会って下さい。
着物は沢山のことを教えてくれます。
人とのつながり方、生きていく上で味わいの深い暖かな環境が皆様の周りに広がって来ることでしょう!
一期一会の教えの通り外面はもとより内面の美しさが深まるこの教室で学んでみてください。
心の優しい日本女性が、スピードを求め過ぎ殺伐としている世の中だからこそ必要とされています。
あなたも きものを装うことにより日本人で良かった!! と実感できることでしょう。人生の意味の深さを共に学んで参りましょう。
お問合わせは、メール もしくは、042-315-2795 (国分寺駅前教室)までお願いいたします。ご連絡をお待ちしています。
装道 熊谷かすみ礼法きもの学院 学院長 熊谷 加寿美
月間『装道』(2011年2月号)に、私の装道への取り組み・体験記が掲載されました。私のめざすものを、多くの皆様に知っていただければと思います。
これで日本は救われる
分院/熊谷かすみきもの学院 承認礼法教室
熊谷加寿美(東京)
〈生い立ち〉 1950年9月山梨県の村里、鰍沢町鳥屋で山林業の父豊、疎開先で一緒になった母豊子の4人姉妹の次女として産声をあげました。
幼い頃から負けず嫌いでかなり活発な少女、遊ぶ仲間は凡そ男の子ばかりで釘うち、ビー玉、メンコ等で勝負をしては男の子を負かしていたようです。それでも、お人形さん遊びもしましたが人形の洋服を作って着せ替え遊びが特に好きでした。
小学校3年の時父は事故で亡くなり、その後はとても貧しい生活を余儀なくされました。でも持ち前の負けん気と明るさで貧しさも何のその、元気一杯で野山を駆け回っていました。ただ、本を読むのは好きで母の手伝いをサボって納屋の藁の中に隠れ、学校の図書室の伝記物は読破し卒業の時先生に褒められた記憶があります。
さて、母子での暮らしも益々苦しくなり、東京の国分寺にいる祖父と一緒に暮すことになり中学2年に転校をしました。祖父は大工の棟梁で工務店を営んでいました。とても暖かく、心の大きな人で思春期の私に大きな影響をもたらしてくれました。人の道を大切にし人生の面白さを孫の私に良く語ってくれました。物事は必ず表裏があるので片方だけ見て判断してはいけないこと、辛抱が大事、石の上にも3年とか、人はその年齢や立場に相応しい行いをすること、「らしく、らし く」と口癖のように言っていました。そして、大人になったらどんな仕事でも上下はない、人の役に立っていると思える仕事をしなさい。と教えられ、笑う門には福来る!と言って豪快に笑っていた姿が忘れられません。祖父の大きさに包まれて貧しくても心はいつもキラキラとして高校生となりました。母の苦しい経済を想い、担任の先生にお願いしてアルバイトを見つけて頂き、全日制で学びながら、都立高校の定時制職員室の用務の仕事をしました。部活も英語部と体操部の2つをかけ持ち、委員会活動もし、更には自分で月謝を払わねばとの思いで一生懸命働き、大変多忙な高校生でした。
高校を卒業し日清精油株式会社に入社し花のOL時代を過ごしました。相変わらず行動的で自然が大好き、山登り、スキー、釣りとアウトドアーな生活でしたので着物とは程遠いところにいた私でした。しかし、二十歳のお祝いに初めて着物に袖を通した時何かが変わりました。それは母が近所の着付け教室に通って『ふくら雀』の結い方を覚えて来て着せてくれた事によりお転婆な私でしたが、着物の醸し出す魅力と母の想いに包まれ、着物はいいなーという感動と着物から教えられる深い思いに幸福感を覚え何とも言えぬ 有難い気持ちになりました。
自分の生き方がきちんと見つけられるまでは結婚はしませんと言っていたのですが、化粧品会社の育成部のコーディネーターとなった時ついに観念して嫁ぎました。子供の出産の時は産休を取り、子育てをしながら出張の仕事もこなし奮闘努力の20年を過ごしました。長女の7歳の支度は自分でしたいと思い夜間通学で着付けを覚えお正月に何とか着せてあげることが出来たのですが、長時間の着付けに疲れ果て娘は熱を出してしまい病院探しをした苦い経験となりました。
<装道との出逢い>
勤めていた会社を退社し、改めて90歳になっても現役でいられる仕事をしたいと思い着物の学校を探しました。装道の学院説明会に参加させていただき山中会長の着物に込められたお考えを伺い電気が走りました。
それは、バブルが弾けた後人々はますます成果主義になり周囲に対する優しさが欠如、自分さえ良ければ、自分が1番に!という風潮が台頭する中、尊敬と感謝が基本である考えが忘れがちになっている人々の心に潤いをもたらしてくれるのでは…との思いがよぎった事、感謝!!が第1であることを、改めてきづかせてくれたからです。 世の中に憂鬱感を覚え、困った社会になったものだ、どうにかして、人々の心を優しく、穏やかに平和に出来ないものかしらと考えていた私の心に光が差しました。 人の心が砂漠化している、カサカサになり渇ききって周りを見る余裕すらない事を、当時の私は感じており、そんな世の中はとても住みにくく嫌いでした。だから、優しさ、穏やかさを求め自分を含む周囲の人々を息苦しさから救出出来るのでは!!と一条の光に感じたのだと思います。
価値観は様々だと思いますが私は自分の財産は金銭の富ではなく信頼と愛情に満ちた人がどれだけ多くいるか、人が宝だと思います。そんな暖かい世の中になって欲しいと思っています。今でも、信頼に勝るものはないと信じています。
“日本を救う手立てはここにあったのだ!!”と感動し即入学をお願いしました。一路邁進して装道を学び生きて行く上で大切な教えを沢山戴きました。プラス思考、前向きな考え方、潜在意識の活用、感謝・尊敬から明るい人間関係が築かれる、袖摺合うも多生の縁、襟を正す大切さ等々、数え切れません。日々を感動し嬉々として通学し、着装と共に礼法も学び無我夢中で過ごした15年間はとても短く充実した毎日でした。
<装道の活動>
入学して半年後の師範課進級と同時に教室活動をスタートさせ2人から始まった教室も平成19年には分院となり生徒数も20人を超え5歳から75歳の生徒で賑やかに楽しく装道を伝え、生徒からも沢山の元気を頂き忙しくさせていただいています。
認可連盟に入って3年目には役員をさせていただき、日野市での装いコンテスト関東大会を経験させていただきました。平成19年に副支部長をそして今年度は三多摩の支部長を拝命いただき未熟ながら大役を果たすべく奮闘しております。
平成15年より始まりました伝統文化こども教室は開拓精神でさせていただき、苦労をした分だけ沢山の収穫がありました。受講生の一人は着物の女王になり世界中に着物を広めたいと言うほど着物好きになってくれ、NHKの子供の部で1位を頂けた感動は忘れることができません。
また、町田市中学校職員研修会の家庭科の先生方の着装講座を担当させていただき、その後町田第三中学校の卒業生の授業もさせていただき楽しい想い出が沢山出来ました。
今年は白梅学園清洲中学校にご縁を持たせていただき夏休みの職員研修にて礼法の講座を担当させていただき先生方の真摯な姿勢に頭が下がりました。有難い経験でした。
<夢と抱負>
プラス思考で潜在意識に私はこうする!と誓いを立てると様々な事が実現してきました。感謝と尊敬の許に愛・美・礼・和の教えを一人でも多くの方に伝え自他共に意義ある生き方を求め実り多い人生となりますよう益々精進して参ります。
今日が迎えられますのも、黙って大きな心で見ていてくれる主人と何くれとなく助言をし心配してくれる母、親の後ろ姿に着いてきて学院生となり学んでいる娘、 我が家族の協力、そして諸先輩の認可の先生方の教え等々本当に沢山の方々に支えて戴き感謝の気持ちで一杯です。私は幸せ者だと思います。だから、今後も装いの道をひたすら歩き続け少しでも人のお役に立つことができれば有難いと思っております。